人間をお休みしてヤギになってみた結果 (新潮文庫)

単におちゃらけた本かと思ったら、結構マジメで興味深い本だった。人間めんどくせえ!とか、人間にはうんざりだ!という著者の気持ちはわかる。そこを出発点にして人間をやめてヤギになることを目指すんだけど、単に体の構造を真似るのではないところがおもしろい。心や記憶や考えといったところまでヤギになれるのか?ということを考え、その過程で人間とは何か?ということが浮き彫りになっている。

まずおもしろかったのはシャーマンの動物観。人間が狩猟生活をしていた頃は、食うだけでなく食われる立場でもあった訳で、人間と動物の境目が今よりずっとあいまいだったのは、そうかもしれない。動物を殺して食べるということが仲間を食べることと同義だったとすると、その罪悪感は今よりずっと大きかったのではなかろうか。そう考えると、シャーマンが動物の魂に祈りを捧げ、人間と動物の融合を図ろうとしたのもわかる気がする。今の殆どの人間は動物を自分で捕まえて屠る必要はないし、他の動物に襲われる心配もないから、自分が動物の仲間だとは意識しにくい。人間と動物の線引きがしやすくなっている。

次に興味深かったのは、動物だけでなく人間も家畜化していった点について書いた箇所。家畜化の過程で凶暴な個体は排除(死刑に)された結果、人間も動物も性格がおだやかになり脳が委縮したという。やっぱり狡猾で性格悪いほうが頭いいのだろうか。だとしたら残念な話。そして、この家畜化の過程について考えてしまうのだけど、病気や障害を持つ個体の排除はどうだったのだろう。やっぱりそういう個体も排除してきたんじゃないだろうか。南米の近代化されていないヤノマミ族には障害者がいないという話を思い出した。現代になって凶暴個体の排除(死刑)の廃止や障害者権利が叫ばれるようになった、つまり脱家畜化しているのは、社会に余裕ができたからなんだろうか。生物としての弱体化とか優生学とかモヤモヤ考えてしまう。ホントかどうか知らないが、現代人の精子はどんどん劣化しているとかいう記事を思い出した。

人間が体構造や食事の点でどうやったらヤギになれるか、というあたりの記述は、まあそうだろうなという感じ。とにかく思考(試行)錯誤がおもしろい一冊だった。あと訳がフランクな感じで良かった。